国葬

 安倍元首相について国葬(国葬義?)という形で式が行われるということで、問題になっていますが・・・・私は、この件については国葬という形でやるべきではないと考えています。

 なんてひどい奴だとか、実は極左なのか?とかいろいろ言われそうではありますが、私は戦後行われていない形での儀式(国葬)を行う必要があるのか?ということです。

 具体的には首相在任中に亡くなった方(小渕恵三、大平正芳)よりも国として格式が高い形(小渕恵三や大平正芳は合同葬)で行う必要があるのか?とは思います。

 私は国の役職として、元首相と首相では明らかに格が違うとは思います。

 非業の死を遂げたというのを全面的に押してもらえれば、テロとの戦いということとでわからないでもないですが、どうも国葬を行う理由としては国民からの人気、在任期間、功績の大きさというのを押されるとちょっと違うかなぁ・・・・と思います。

 大平正芳はよくわかりませんが、小渕恵三については自民党が少数与党の中、連立政権を組んで政治的難局を乗り切ったり、橋本龍太郎内閣での失策(消費税の増税による不景気)を、金融緩和や財政出動を大規模に行うことで穴埋めをしようと相当頑張って景気を浮上させるきっかけを作ったとは思います。

 (元々病弱であったにもかかわらず、首相という大任を任され、命を懸けて仕事をしたとは思えば、国葬にすべきだったとは思いませんか?)

 あと、私の根本的な考えとして、公職に奉じている最中の人の死についてランクをつけるというやり方が好きではありません。

 例えば自衛官(軍人)は死の形態を問わず任務に関わって死んだら二階級特進と決まっているわけで、死に方や功績の大きさでそれが三階級となったりするわけでは決してありません。

 戦死については平等に尊い犠牲であるということで、政治家も国家に奉じる公職であるので、そこにランク付けするのは違うのではないかと思います。

 国葬に反対するのは国賊だ!とかいうレベルで反論を許さない空気があるのもどうなのかなぁ・・・とは思います。(ここは自由主義国家だとは思いますがねぇ)

 国葬に反対するくらいなら参加しなくていいし、賛成する人の足を引っ張るなという意見もあって、右も左ももう少し論理構成を持った話をしてもらえるといいのではないか?とは思います。

 勘違いされたくないので最後になりますが、安倍元首相は日本のために戦った素晴らしい首相であったことは明確に書いておきます。 合掌

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