批判に何の意味がある?

 僕も批判することも多いのです・・・自分にも言い聞かせてます。
 最近だと政治家に対するものやワールドカップで負けたことなどがやり玉に挙げられます。居酒屋で世間話をするくらいならいいですが、あまり一生懸命話すことに意味がないと思ってます。
 政治家の失言なんかもムダですが、ワールドカップで負けたことで選手を責めて一体何がしたいのか?というところはあります。(本田なんかは一番働いていたけどボロクソに言われてます)
批判
 (デイリーはどんな時でも阪神ですね)

 サッカーのような運の要素の強いゲームで短期決戦であれば予選通過確実といえるのはブラジルとドイツくらいだと思ってます。日本はそんなに強くない。
 某越後氏は負けて当然というのはそれも違う。予選を勝った力があれば偶然性が高いゲームでそれはないですね。
 負けには不思議の負けはし。というのは野村監督が言っていたりして日本人は自分に帰責性を求める話が好きです。ただ、今回の一番の敗因は「戦略が裏目に出た」「運がなかった」くらいでしょう。
 (もちろんサッカーに詳しければいろいろ分析できるのでしょう。そういう考察なら聞いてみたいですね)

 会社経営でも同じようなことがあります。何かがあった時に批判をするのは簡単なのですが、そうではなく分析、検討、改善などにより自社のためになるようにしていただきたいです。(失敗が起きたときにはそれを責めるのではなく、なぜそれが起こったのか?どうやれば起きないようになるのか?を考えてください)
 そして運がなかったとあきらめて次に行く必要もあります。但し本当に運がなかったか?というのはプロスポーツと違ってほとんどないでしょう。会社経営は敗者のゲーム(素晴らしいプレーで勝つのではなく、ミスをして負けるゲームという意味です)です。
敗者のゲーム

 
 まぁ僕のブログを読んでくれている人はそれなりの人が多いので社会に対する批判する権利はあると思ってます(批判する余裕がある)
 ただ、社会でうまく行っていない人ほど社会に対する批判が多くなりがちです。政策の批判とか個人の批判とか海外への批判などなどろありますが・・・お前にそんな暇があるのか?というツッコミを入れたくなることがあったりします。
 世の中を批判するから成功しないのか?それとも成功しないから批判するのか?その両方なのか?はわかりませんが、批判ではなく建設的な話をもっとできるように(自分も)なりたいものです。

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