論理的な話

 一時期市長と議会の対立でいろいろ議論になっていた、広島県の安芸高田市における市長と記者のやり取りが面白いなぁ・・・・と思って紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=QfNRDlQbzy4&t=1s

 このショートカットは、公式のものなのでお時間のない方は切り抜きサイトなどで見てもらえればいいと思います。

 知らない方向けに少し書いておきますが、この市長はバリバリのエリートでしたが、地元の市長の失脚により政治とは無縁の世界から市長になりましたが・・・・ そうなると地元の議員からすると面白くはないですし、さらに政治改革というか地方議会(議員)とバチバチにやりあって3年程経過しています。

 このような市長が誕生すると、地方議員としてはいままでのような仕事ぶりではとてもやっていけませんし、市長が議会に気を遣うものだという前提が崩されているので、議会全体としては徹底的に市長の反対勢力に徹します。

 日本においては、基本的に二元代表制が取られており、議会は市長のやろうとしていることに対して自己の考えを投票する権利を有しており、それを行使しているだけなので別に違法なわけではありません。(賛成、反対、欠席等の理由を回答する必要もない)

 まぁ、議会での投票行動について問題があればマスコミが議会を批判をすべきなのですが・・・・(地方新聞とはいえ)これが記者のレベルになってしまいます。

 例えば、議員は批判できないが市長は批判できる。(地元の権力者は批判できないが、ポッと出の新人には批判的な記事を書けるというのは理解できます)

 

 「理解できる」とは書いてますが、「共感できる」わけではありません。

 

閑話休題 

 日本人は理解ができる表現を使うときは「同意する」という意味でも使うのが日常ですが、私は好んで使うフレーズとしては、「理解はできるが共感できない」というのがあります。

 「理解」という理論的なものに対応して、「共感」という感情的なものを対比するのは非常に論理的な日本語ではないのですが、

・言っていることは分かるがその意見には賛成できない

 という場合どのような日本語が最適なのか?がいまだにピンとこないのは私の語彙力が不足しているからなのだとは思います。

https://honkinonki.com/convinced-sympathy

 

 話を戻しますが、新聞記者という仕事は本当に難しいと思います。 新聞記者になろうと思えばそれなりの知能が求められるわけですが、自分の知能をフル回転させた記事を書くと新聞を読んでくれる人が理解できなかったり敵を作ることになる。 そうなると、読者のレベルやニーズに合わせた記事を書く必要があるということです。

 日頃から適当な記事を書かないと仕事として成り立たないのですが・・・・それをこの市長にやってしまうとこのように詰められることになるのでしょうw

 私はこの市長は本当によくやるなぁ・・・・とは思います。 これだけ頭が切れるにもかかわらず、全く論理的ではない人とやっていけるのは稀有な才能です。

 私は頭がここまで切れるわけではないですが、非論理的な人と仕事をする才能が「非常に」ないので、こういう仕事は無理です(だから今の職業についているわけですが)

 是非ともこの市長には頑張って頂きたいですが・・・しょうもないことで気になったのは、記者が市長に「あなた」という表現で指したのですが、市長はこれは大変不躾である。と市長がいう場面がありました。

 私の価値基準では「あなた」という表現は不躾だとは思いません。私という表現に対応する表現はあなただと思うからです。(「私とあなた」とか普通に使うようなきがします)

 私の日本語能力が低いのかもしれませんね。。。(表現はホント苦手です)

 これは、一部のネットで知名度のある?一コマです。

 地元の商店街の活動を見た人の結論です。 私の場合妨害する人がいたらすぐにこの気持ちになってしまいます。

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